「やりたいこと」という論理――フリーターの語りとその意図せざる帰結

   久木元 真吾(財団法人 家計経済研究所 研究員)

    『ソシオロジ』第48巻第2号(2003年10月)掲載(pp.73-89)




【要旨】本稿は、日本労働研究機構のフリーターへのヒアリング調査のデータをもとに、フリーターの語りの分析を通じて、就業をめぐる彼ら/彼女らの論理構造を抽出して再構成し、それがもたらす意図せざる帰結について考察する。まず、フリーターの語りに「やりたいことをやる」という語彙が頻出することに注目し、正社員としての就職にこだわらず「やりたいこと」をやることを優先すべきという論理が、就業をめぐる基本的な論理となっていることを確認する。そして、その「やりたいこと」という論理が、(1)「やりたいこと」ならやめずに続けられる、(2)「やりたいこと」は明確でなくてよい、(3)「やりたいこと」は必ず発見できる、という三つの前提に基づくことを示す。しかしこの論理は自己展開し、「やりたいこと」の有無が「良い/悪いフリーター」の弁別基準として機能する事態を導く。さらに(1)かえって「やりたいこと」を同定しにくくなる、(2)「やりたいこと」からリタイアしづらくなる、(3)放任されてしまう、という三つの意図せざる帰結がもたらされてしまうことを指摘し、「やりたいこと」という自らの言葉によって「やりたいこと」の困難に至る、皮肉な論理展開の中にフリーターがいることを明らかにする。最後に、「やりたいこと」という言葉が語られる背景について、現実の厳しい就業状況を先取りする形で、途中でやめずに没頭できるほどの仕事の表現として語られている可能性を指摘し、働くことをめぐる言葉の問題が、現在の日本社会において固有な重要性をもつことを主張する。


論文全文(PDFファイル)

   ※『ソシオロジ』誌の許可を得て掲載





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